企業創立物語
1961年初期、台湾の南に位置する街「屏東」は、養豚産業が主な農産業で、当時の屏東県知事-張豐緒と政府の関係者らは、農民の収入増加を目指し農村生活を改善し、農村をより繁栄させようと農畜の加工を提唱しました。食肉加工品を、日本に輸出しようと何度も日本に積極的に売り出しました。この期間に多くの権力者の支持を得ました。前高雄市の市長-陳田錨、特に張豐緒が当時親しかった日本農林水産大臣の福田赳夫に紹介された、岸信介元総理なども例外ではありません。岸信介首相の多大な支持もあり、遂に1967年7月に日本の高崎ハムと提携し、台湾と日本の合同出資で現代的な精肉加工工場–「台湾農畜產工業有限会社」(略称:台畜T-HAM)の創立を実現させました。創立当初は高崎ハムからの海外赴任社員の技術指導の他に、高崎ハム自ら駐在員を赴任させ、常に技術指導もしていた。双方の協力のもと、1968年7月には冷凍肉を日本に輸出し、初めて日本市場を開拓した冷凍肉加工工場と謳われた。日本に冷凍肉の輸出に成功したことで、国内の養豚過剰問題を解決、農民の収益の増加、より養豚の品種改良技術の進歩、輸出の基盤の創設、台湾と日本の農畜産業の交流を促進、両国の貿易バランスを均衡させるなど、様々な影響を台湾農畜産業にもたらした。
台畜第一步
省主席黃杰
1968年9月には、台湾農畜T-hamは西洋風ハム、ソーセージ、薫製肉など加工品を国内に売り出し、同年にカスタマーサポートをより徹底させるため、台湾各県で代理店を設立し、現在では全国に沢山の代理店があります。製品の品質の維持、お客様のニーズに答え、製品を好んでもらえるよう、引き続き努力を継続してまいります。
開工初期
高崎火腿